震災直後、親戚の安否確認の為、能登入りした後輩のレポートです。
現在、一般車両は、緊急車両優先の為、のと里山自動車道が下り通行止めの為、一般車両は下道しか通行出来なくなりました。
震災前は金沢~輪島は2時間少しですが現在は12時間以上かかります。
内灘地区は元々地盤が弱いので隆起が酷いですが、金沢の隣町なので何とかという感じです。
能登半島に入ると七尾から傷跡が目立つようになります。
穴水町に入る手前から道路の隆起が酷い状態になってきます。
穴水町から能登三井を通り輪島に入りますが、一気に景色は変わります。道の隆起、土砂崩れが酷い状態に。それが輪島市内まで続きます。
TVでは全く流れない能登三井の集落は完全に崩壊状態になっています。輪島市内は河井町(朝市)の現場がどうしてもクローズアップされていますが周りも酷いです。能登地方の屋根は雪に対応する瓦なので重く基礎は地震対策されていない昔の日本家屋なので95%以上が全く人が再び住めるような状態ではない半壊倒壊状態です。
能登半島の道は国道県道共に狭く、道も限られていますので、なかなか行きにくく、現在も孤立集落がたくさんあります。
自衛隊のおかげで物資等々、マシにはなっているものの季節も踏まえて被災者にとって非常に厳しいものを感じます。
道路状態が少しマシになり、暖かくなる迄は行きにくいと思います。
穴水町から輪島市はTVの映像よりも10倍酷い状態だと思われて間違いないです。
避難所生活のところには物資が届いていますが、かなり片寄っています。
食べ物はどうしてもパンばかりです。
避難所生活じゃない方々も多いです。
避難所じゃなければ物資は届きません。
能登地方は高齢者の方々が非常に多く、若者が少ないので自分自身で片付ける事が非常に厳しい現状です。
穴水町から輪島市内の携帯電波は現在もほとんど通じません。
復興には阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震等々よりも時間がかかるかと思われます。